【みき・ミキ・神酒のはなし、は、琉球弧「みき」モノガタリ内のみき便り、に引っ越します】
2020年の1月から続けてきた、みき・ミキ・神酒のはなし、は、
2024年3月より、琉球弧「みき」モノガタリ、に統括することにしました。
これにあたり、みき・ミキ・神酒のはなしを始めることになったきっかけから、
琉球弧「みき」モノガタリへと繋がっていく経過を記しておきます。
2017年、友達からの依頼を受けて「みき」作りワークショップをはじめ、その翌年2018年1月から公設市場の店舗で「みき」の販売を始めました。
みき、は、豊年祭でいただくものでもあるし、オバァが作って飲んでいるのを見てはいても、これを仕事にしていこう、外に発信していこう、と思ったことはありませんでした。
だけど、ワークショップでいただいた「毎日飲みたい!」というお声や、
地域の方々の後押しもあって、「みき」の製造販売が始まりました。
だけど、店頭で、毎日、毎日、「みき」って何ですか?と聞かれる日々でした。
ああ、みきって、こんなにで知られていないんだ~と痛感しました。
そして、もう一つ知ったことがありました。
それは、来間島以外の、他の島にも「みき」がある、ということです。
当時のお店の看板には、「みきは来間島独自の飲み物」と書いていました。
それがたまたまネットに上がったところ、炎上しちゃいました。
「みき」って奄美にもあります、
来間島だけのものじゃないですよ、
というコメントが続々と寄せられました。
ごめんなさい!知りませんでした!教えてくれてありがとうございます!
と、一人一人にお伝えしたこともあります。
そんな日々で、自分も色々と勉強していく中、「みき」の面白さにどんどんはまっていきます。
発酵食品としての面白さはもちろん、「みき」を取り巻く島の人々の姿、暮らしに魅了されていました。
もっと「みき」のことを伝えていきたい、残していきたいという思いが芽生えてきました。
そして、来間島のみき、のことだけでなく、
「みき」全体のことを伝えて行けたら、という思いが芽生えだしていました。
みき製造販売という仕事をしている以上は、
やはり自分の島の「みき」のことを知ってほしい、飲んでほしい、買ってほしい、という気持ちは当たり前にあります
だけど、「みき」のことをやる、ということは、それだけではダメなんですよね
それは、「みき」は神様からの授かりもの、だからです
神様から与え賜うたものだからです。
自分の「みき」だけの発信で終わってたらダメだ、
もっと「みき」を知ってもらう、みんなの「みき」を知ってもらうことをしていかなくちゃだめだ、というのは当時、私が感じたことでした。
わたしのみき、来間島みき、を伝える。そして、同じように、他の島々のみき、も伝えていく、この両方を伝えていく、その思いが、私の両輪となりました。
以来、4年以上、毎週金曜日に、ブログで琉球の島々の「みき」のことを書き続けてきました
そして、奄美大島や加計呂麻島、沖縄島、などいった先々でも「みき」を訪ね、
交流を重ねていく中で、「みき」が島によって味わいが違うこと、材料や製法が違うこと、個性と多様性に満ち溢れていることを知ります。
「みき」が琉球弧の象徴であるように感じます。
そして、琉球弧「みき」モノガタリプロジェクトへ繋がります。
みきの個性と多様性、
共同体の中でただあり続けてきた「みき」と人の暮らし
みきがいて、ひとがいる
そんな営みをもっと伝えいきたい。
今後は、琉球弧「みき」モノガタリのホームページの内容の拡充、
小冊子の第2号発行に向けて、力を注いでいきたいと思います。
そのため、ホームページ内のブログへとお引越しします、となりました。
3月から、新しくここで始めていきます。
どうぞ宜しくお願いします
来間島みき主宰/琉球弧「みき」モノガタリプロジェクトリーダー
砂川葉子